無念

朝はやはり父は眠っていました。私は昨晩ソファーベッドで寝ることがでいたのですが、夫はテーブルにつっぷして寝ていました。だから、「こっちで寝ていいよ」と言い残して、私は母を迎えに行きました。8時頃、病室を出たと思います。実家で折り返して、途中のGSで給油しようとすると、夫から電話が来ました。「今どこ?先生がお父さんが危ないから、なるべく早くに来るようにって」給油を済ませて、また、昨晩呼んだ親戚のおじさんと伯母を呼びました。

母を病棟の正面入り口で降ろしましたが、私は車を入れなければなりません。立体駐車場はこの時間満車でしたが、無理矢理入れようとしました。そのとき、再び、夫から電話。「はやく、はやく」と。病室は見えるのだけれど、駐車できない。やっと、入庫させ、走って病室に行きました。病室の中は雑多な感じがしました。先生は枕元で吸入器のようなものを父の口にあて、おおきな風船のようなものを、ゆっくりと押していました。心電図の数字は20台くらいでした。でも、次第次第に数値が落ちていき、先生が押すのを止めると、ストンと数字がゼロになりました。

先生が聴診器を胸にあて、携帯の時計で時間を確認し、「9時10分とさせて頂きます」と静かにおっしゃいました。

予期はしていたことなのですが、実際に起こってしまうと、訳もなく涙がでてきてしまいました。先生はすぐにその場を立ち去りましたが、看護師さんは残ってくれ、機械類をはずしてくれました。その間、私は、ケアステーションに行き、事務の人に、「○○課の○○さんにお伝え頂きたいのですが」と話したら、「直接話されますか」と言われた。ちょっと迷ったが、父の遺体を霊安室に移すというので、「いいえ。伝言で結構です。『先ほど父が亡くなりました。お世話になりました』とだけ伝えてください」と話した。

部屋の片づけなどに追われていると、ほどなくその○○さんが来てくれた。勤務時間中であるにもかかわらず来てくれた。霊安室まで一緒に言ってくれ、あれやこれやとうちの都合を考えて、指示を出してくれた。

霊安室は噂通りすごかった。天井から足下までガラス張り。海が見える。遺体の横たわる台は、まるで海の中にいるかのよう。ブルーを基調としている。遺体の顔には、丁度光があたるように、スポットライトがついている。

11時15分頃には病院を出られると言われていたが、もう、この頃には時間は過ぎていた。一緒にいてくれた○○さんは、「○○先生の手術が終わるのをまっているんじゃないかしら」と言っていた。きれいに化粧もほどこされた父が、処置室から寝台に載ってやってきた。その台の上に横たわる。ガラスばりだった窓は、カーテン様の板のようなもので、パタパタと覆われた。

ほどなく、担当医だった先生がお見えになり、焼香してくれた。「○○さんが望まれた『最良の医療』ができたかどうかはわかりませんが、また、持ち帰って、自分なりに振り返ってみたいと思います」とおっしゃり、「今、主治医の○○が参りますので」と言って頭を下げ、代わって看護師さんが焼香してくださった。そしてほどなく、主治医の○○先生が、手術着のままでお見えになった。父が、闘病中もっとも信頼していた先生だ。なれた手つきで焼香され、私たちに「このたびは・・・」とおっしゃり頭を下げられた。

先生方は廊下に出られた。父と共に廊下に出た私は、まず担当医の先生に、「先生、どうもありがとう。先生と交わした言葉が、父との最後の会話になってしまいました」と言ったら、「そうですね・・・」と言って涙を浮かべられた。私たちの会話を主治医の○○先生は、そっと見ていた。主治医としてというよりは、管理職として、この担当医が患者の家族にどのように見られていたのかを評価しているのかなと思った。

11時45分頃、病院を後にした。○○さんは、最後まで私たちを見送ってくれた。