歯性上顎洞嚢腫入院3日目 手術

私の手術は、口腔外科の手術では3番目、午後1時頃病室を出るようなことを聞いていました。

9時に看護師さんがやってきて、「1人、手術室に出してから来ますね」と言い残し、9時15分頃再来室。点滴開始です。25日まで、この点滴の針を使うらしく、動いても痛くないように、左の腕の内側にさしました。手術中もこの針から麻酔を入れるらしく、「点滴としては太めの針」なのだそうです。

11時35分。若い看護師さんが来て、「手術室からお呼びがかかったので、移動します」と言われました。まだ1時間以上あると思っていたのですが、急に声がかかり、着替えをして出発しました。手術着の下は、何も身につけませんでした。手術時間が短いので、導尿はしない。パンツは身につけていっていいと聞いていたのですが。

ストレッチャーに乗って移動です。私は近眼ですが、使い捨てのコンタクトを朝起きてからつけていました。手術室の入り口ではずせばいいということで、そのまま出発です。

手術室は2Fです。手術センターというガラスの扉を開けて、ストレッチャーは進みます。中には20室手術室があるということですが、すべてがステンレスとガラスのお部屋といった感じでした。

口腔外科の先生たち、麻酔の先生、手術室看護師さんなど、5〜6人の方たちが出迎えてくれました。病棟看護師さんから、それらの方たちに引き継ぎが行われ、ストレッチャーはどんどん進みます。右手にすべての手術室の様子が映し出されていると思われる、モニターがたくさんあるお部屋が見えました。

私の手術室に入ると、更に5〜6人の人たちが見えました。ストレッチャーから手術台の上に、自分で移動しました。枕の位置に、四角い枠がありました。そこに頭を挟むようにして横たわりました。何人もの人の手が出てきて、両腕にいろいろな計器がつけられました。点滴の管に注射器のようなもので、薬剤を入れる人が見えました。そして、酸素マスクが口に近づいてきて、「息をそのまま吸っていてくださいねぇ」と言われ、少し経ったら意識がなくなりました。

何か夢を見ていました。管のようなものがす〜っと抜けるのを感じ、「終わりましたよ」という声が聞こえました。そして、ストレッチャーに私を移動させるために、何人もの人の姿が見えました。手術室を出ました。ストレッチャーの振動とともに、吐き気がおそいました。「気持ち悪い」と私は言っていました。手術センターの出口まで来ると、見慣れた病棟の看護師さんの姿が見えました。「●●さ〜ん」と私が呼ぶと、にっこりと笑ってくれました。

そのまま、病室に戻りました。夫と叔父が待っていてくれました。また、ストレッチャーから病室のベッドに移動するために、何人もの人が手を貸してくれていました。いつからか、酸素マスクが鼻と口を覆っていました。とにかく気持ちが悪い。少し横を向いた瞬間、右鼻から、だら〜っと鮮血が出てきました。ティッシュで押さえると、ティッシュににじみましたが、その後はガーゼを鼻の出口に入れてもらっただけで収まりました。

その後、叔母が1Fのタリーズタリーズのコーヒーを携えてやってきました。コーヒーのにおいが更に私の吐き気に拍車をかけました。

病室に戻ってきたのは、3時過ぎでした。術中の出血は500mlだったと聞きました。出血が多かったということで、その後、点滴に止血剤が3日くらい入れられました。

落ち着いてくると、右の口の付け根が痛い。鼻で息がしにくくて、口で息をしている自分に気づきました。安静解除は、5時で、その後は自力でトイレにも行くことができました。

歯性上顎洞嚢腫入院2日目

日曜日でしたが、午前中口腔外科の先生が入れ替わり立ち替わり、様子を見に来てくれました。これといって、手術前の診察といった感じではありませんでした。

午後1時半頃、総合内科の担当医が来室。私は糖尿病、高血圧の持病がある。手術をするにあたり、食事がとれない間に血糖値が異常に上がるようであれば、一時的にインシュリンを使うこともあると話して行かれる。

夜6時半頃、麻酔科の先生が問診にみえる。女性の先生。口の中の手術であるので、麻酔はどこから入れるのかと確認したが、「左の鼻から」とのこと。昨日、外来では「口から入れると聞いた」と話すと、「口外の先生からは、鼻からとの指示が出ていましたが、確認してみまる」とのこと。全身麻酔による手術であるが、飲酒、喫煙についての質問はなかったことが、意外でした。

手術前夜は緊張の余り、寝付けない患者さんが多いとのことですが、私は入院してから不安がなくなり、この夜は目覚めることなく、よく眠ることができました。

食事は、昨晩から一日1400kcalの糖尿病食に押さえられ、この日の夕食を最後に、明後日の朝食まで絶食になりました。

歯性上顎洞嚢腫入院1日目

1年以上ぶりの更新です。ずっと、不妊治療中心に進めてきたこのブログも、内容一新です。50歳を超えたのを機に、自分の人生を楽しむ方向に、考え方を変えました。

50歳を超えると、身体に変調が出てくると言われてきましたが、このたび、歯性上顎洞嚢腫の摘出手術のために、入院しました。かつてこのブログにも書いたことがありましたが、私は時々耳の不調のために耳鼻咽喉科にかかってきたのですが、その原因が、なんと歯だったのです。奥歯が原因で、上顎洞の中に膿がたまってしまっていたようです。直径およそ3.5cmと言われています。摘出せずにそのままにしていると、目の裏側に回ってしまったり、頭の方にまでいってしまうそうで、「早く摘出してしまった方がいい」との医師の判断で、10日ほど入院をします。その間、仕事も休みます。

母が入院していた病棟と同じ病棟で、もう4年近く経つのに、看護師さんたちは一部の方を除き、そのまま残っていらっしゃいます。知っている看護師さんの顔を見ると、心強いです。また、父の手術をしてくださった先生も、もう10年近く経つのに、私が手術をすることを知らせると、励ましのメールをくださいました。本当に感謝です。

私の40代は、不妊治療と両親の闘病のために自分の身体のケアができずにいました。これからは、残された数十年の人生を楽しむために、自分の身体をかわいがろうと思います。手術は21日です。2日間は、ゆったりと過ごそうと思います。

1年以上ぶりの更新です。ずっと、不妊治療中心に進めてきたこのブログも、内容一新です。50歳を超えたのを機に、自分の人生を楽しむ方向に、考え方を変えました。

50歳を超えると、身体に変調が出てくると言われてきましたが、このたび、歯性上顎洞嚢腫の摘出手術のために、入院しました。かつてこのブログにも書いたことがありましたが、私は時々耳の不調のために耳鼻咽喉科にかかってきたのですが、その原因が、なんと歯だったのです。奥歯が原因で、上顎洞の中に膿がたまってしまっていたようです。直径およそ3.5cmと言われています。摘出せずにそのままにしていると、目の裏側に回ってしまったり、頭の方にまでいってしまうそうで、「早く摘出してしまった方がいい」との医師の判断で、10日ほど入院をします。その間、仕事も休みます。

母が入院していた病棟と同じ病棟で、もう4年近く経つのに、看護師さんたちは一部の方を除き、そのまま残っていらっしゃいます。知っている看護師さんの顔を見ると、心強いです。また、父の手術をしてくださった先生も、もう10年近く経つのに、私が手術をすることを知らせると、励ましのメールをくださいました。本当に感謝です。

私の40代は、不妊治療と両親の闘病のために自分の身体のケアができずにいました。これからは、残された数十年の人生を楽しむために、自分の身体をかわいがろうと思います。手術は21日です。2日間は、ゆったりと過ごそうと思います。

今日は、午前10時に入院の指示がありました。1Fの入院受付で受付を済ませ、6Fの病棟へ。6Fの事務さんに書類を渡し、体重、身長を測定し、病室へ。この病棟は全室個室。HCUも完備ですが、普通の病室は、27室です。体重は、去年の夏から3kg減量したのに、ここ数週間でもとに戻ってしまっていました。

昼食を摂り、2時半に外来に呼ばれました。夫には、昼食後帰ってもらい、2時15分に仕事関係の先輩が3人、お見舞いに来てくれました。すぐに、外来に行かなければならず、そのまま部屋で待っていただきました。

外来では、医師が歯の最終チェックと、手術が21日の3番目になってしまったこと。それから、術式等の確認がありました。その後、衛生士さんによる歯のクリーニングでした。20分くらい、機械を使って掃除をしてくれたので、汚れがとれて、歯が白くなりました。CTなどで直前の画像を撮るのかと思いましたが、それ以降何もありませんでした。

病室には、3時半頃戻りましたが、先の先輩たちは、まだ待っていてくれて、5時半くらいまでおしゃべりをして、帰って行きました。

ひとりごと

久しぶりに,ここにきました。
私が不妊治療をがんばった記録がすべてここにあります。
もはや,今はひとりごとでしかありません。

去年の8月以降,KLCには行っていません。
「行かなきゃ,行かなきゃ」といつも心のなかで思い,
「どうしたらいいの?」が口癖になってしまっている私。

卵はまだ胚盤胞を含めて2個あります。
でも,その卵を戻しに行く決心がなかなかつかず。
仕事も忙しく,それにかまけて,さらにまた行く気になれず。

このまま,治療をフェイドアウトするべきか。
でも,でも,それでは今まで10年も移植を待っている凍結卵がKLCにいる。
それを破棄する決心もできない。
かわいそう・・・。

どうしたらいいの。
誰か教えて欲しいです。

シドニーへ

明日,といっても日付はもう29日ですが,シドニーに出発します。

もう,3年連続この時期に出かけていて,私にとっては通算6回目のシドニーです。今日,親戚の人に明日から出かけることを話したら,「定年になったら,シドニーに住めばぁ?」と言われました。全くです。

もう,自分で子供を産むことはほぼ100%無理だと思っているので,子育てとは違った角度からの将来の不安を感じます。

今回は,初の試みとして国際モバイルルーターをレンタルして,リアルタイムでFBに書き込みしようと思います。「見てね」と言いたいですが,このブログを読んでいる方で私の名前をご存じの方は,どうぞ見てくださいね。

お久しぶりです。

すごい久しぶりのブログ更新です。
まだこの私のブログの更新を待っていてくださった方はいらしたのでしょうか。

何もかもが限界に感じて,7,8月の2周期KLCに通院しましたが,7月は排卵済み。8月は採卵できたものの,分割せず。私に同情してか,ずっと冷たいと思っていた勝股先生でさえも,私の愚痴を聞くために時間をさいてくださったり。このことを,小林先生の診察の時にお話したら,苦笑されたり。すべてが限界です。

卵はまだ2個凍結されたままで,いつか戻したいとは考えているのだけれど,時間が経つにつれて自分の身体に自信がもてなくなってきたこと。それから,通院しないことによる,時間の縛りからの解放が心地よく,ずるずると今日に至りました。

今年も年末年始は,シドニーに行きます。3年連続になりますが,3年前までは,年末年始は通院するために空けてあり,旅行に行くことなんて考えられませんでした。シドニーはCountdown Fireworksでもとても有名で,この時期は旅行代金は一気に跳ね上がります。でも,でも,私が年間かけていた体外受精の料金の4分の1程度で,お部屋から花火を観賞できるホテルに連泊できます。

1月はさすがに通院しようかと思っています。体外受精に邁進したこの10年間を振り返ると自分でもよくがんばったと思います。通院優先でお金と時間はもちろんのこと,他にも犠牲にしてきたことがたくさんあります。後悔はしていませんが,やはり10年は長かった。これから少しそれを取り戻しながら,がんばった自分を慰めたいと思います・・・。