酷な言葉

昨晩先生から電話がかかってきてから,ずっと心配で心配で仕方がなかった。仕事はもちろん1日勤めたけれど。叔父が先に病室に行って待っていてくれると言ったけれど,あまり早くに行って待っていてくれても,私はいつも夕食後の7時頃病院を出るので,「父が不審に思う」と思い,少し時間をずらして行った。

5時45分頃病院に着いた。叔父は父の病室の階のエレベーターホールのソファーに座っていた。病室に行き,少し話をして,6時過ぎに食事が来て,「おじちゃんからお米を受け取るから,帰るね」と行って,病室を後にした。途中ナースステーションに寄って,担当医の先生に連絡を取ってくれるように話す。

「その間,病室でお待ちください」と言われたけれど,「本人には内緒なものですから」と話,エレベーターホールで待つことにした。その間看護婦さんが何度も来てくれて,「もう少し先の方のムンテラに時間がかかると言うことなので,お待ち頂けますか」「○○さんは,よく病棟を歩いていらっしゃるので,見つかるといけませんから,こちらへどうぞ」と看護婦さんの部屋に案内してくれた。ありがたかった。

先生が来たのは,7時は過ぎていたと思う。先生の話の最初は,「今日,ご本人様が『あと1年くらい生きられますか』と訊かれたので,『1年はちょっとわからない・・・半年くらいかも知れない』と話しました。『何でこんなことになったのかな。先生は転移はなかったと言っていたのに』とおっしゃられ,『少しガン細胞がこぼれていて,それが芽吹いたのかも知れませんね。』とも話しました」と言われた。私たち家族が告知ということをずっと迷い続けてきて,この場に及んでも決断できずにいるので,先生が先に話されたのだと思う。私たちへのムンテラが終わったら,「昼間の話でショックを受けさせてしまったと思うので,また話に行きます」と先生はおっしゃった。

話は延々と30分くらいは続いたと思う。内容は予想していた通りだったので,あたふたとしてしまうことはなかったけれど,やはりショックだった。まだまだ元気なのにな。

お話が終わってから,3人で新病棟のレストランに食事に行った。きれいな夜景も全然うれしいと思わない。この病院に来て,ホテルのような設備を楽しむことができるのは,お産で入院している人ではないだろうか。