帰省

今日からお盆。朝7時半に実家に行く。毎年,この日に先祖を迎えるために,仏壇にお盆用の棚を作る。去年は,父が入院していて,母と私と応援に来てくれた近所の親戚のおじさんとで,棚をつった。今年は,父と私のふたりでつった。毎年,息が合わず,父と口げんかをしながら作るのが常だが,今年は終始仲良く,つることができた。父が言った。「あやうく今年はみんなに新盆の棚をつってもらうところだった。でも,元気になれて自分が棚をつくることができて良かった」と。ホント,実感です。


棚作り終了後,お義母さんのお見舞いに行った。先月末から,私は1回も病院に行っていないので,気になっていた。お義母さんは,まだHCUにいる。1階のコーヒーショップでコーヒーとサンドイッチを買って,病室へ行く。エレベーターを○階で降り,エレベーターホールのドアにICカードを翳し,目指すHCUの入り口のインターホンで,入室許可をもらう。この手順は前回と同じ。病室に入ると,お義兄さんと先に出かけていた夫がいた。お義母さんは,顔面全部を酸素マスクで覆われ,たくさんの管が身体につながれていた。前回と違うのは,首に点滴の針が刺され固定されていたこと。「お義母さん・・・」と声をかけても反応がない。眠っているわけではないようだが,意識が薄らいでいるようだった。病院内のレストランで夫と昼食をとり,私は一足先に帰宅する。


夕食後,お墓参りに父と夫と私の3人で出かけた。出かけたと言っても,近くのお寺だ。いつもよりも人がたくさん行き交う。幼い頃一緒に遊んだ人たちが親になり,子どもを連れて帰省しているのだ。毎年目にする光景だけれど,自分が子どもがいないまま年をとり,私よりも10歳以上も年下の子が,子連れで帰省している。帰省している人たちは,皆子連れだ。本当に皆子連れなのかどうかはわからないが,子どもがいなくて帰省している人は,ごく少数のように思われる。知っている人に会っても,伏し目がちで通り過ぎようとする自分がいる。子どもがいないことをそんなに『負い目』として感じる必要はないのだろうけれど,そんな気持ちよりも劣等感のほうが勝ってしまう。いつになったらこんな気持ちから解放されるのだろう。その時って,「本当に子どもをあきらめて,治療をやめた時」か「子どもができた時」であることは,自分でよくわかっているくせに。