D20 凍結胚盤胞移植(BT)

いよいよBTの日を迎えた。8時半に来院するよう指示されていたけれど,いつもの電車で行くことしかできないので,7時45分に着いた。直接4Fの受付に行き,8時に中待ち合い室に入るよう指示される。8時ちょっと過ぎに,処置室に呼ばれ採血。1時間くらいで結果が出るので9Fで待つよう指示される。でも4Fの待合い室が比較的空いていたので,しばらく雑誌を読んでから9Fへ行く。9時過ぎに4F処置室に行くよう指示される。ほどなく,診察室の1番に呼ばれる。先生は勝股先生。「16日と19日の午前中がホルモン検査になるけれど,来れる?」「AHAはしないからね。ちょっと前まではAHAをした方がいいと言われていたけれど,うちのデータから言うと,どちらも結果は変わらないので,しないから。」「ホルモン値が若干少ないからお薬出すからね。でも,移植には問題ないから。」と言われ,先生は培養室に解凍を指示した。その後,処置室で看護師さんから今日のスケジュールについて話を聞き,とりあえず「午前の部」は終了。
食事は10時まで。水分は12時までと言われ,「外出しますか」と聞かれたので,「はい」と答えると,12時から培養師さんのお話があるけれど,11時半までに9Fに戻ってくるよう言われる。マックに行ったり,マッサージをしてもらおうとしたり(でも,まだ開店前だった)したけれど,時間が余ってしまって,少しだけパチもやってみた。11時過ぎには9Fに戻ることに。)9Fの受付に名前を告げ,待つこと1時間以上。12時20分頃,問診室に呼ばれた。卵は,5日目の朝に胚盤胞になり,6日のお昼に凍結したとのこと。AHAはなし。ホルモン値が少ないことについて尋ねると,先生同様,「問題ない」とのこと。
1時20分頃,9Fの受付に名前を呼ばれ,5Fに移動する。そのままリラックスルームへ。私の他に,もう2人同時に呼ばれていた。私は3番のベッド。移植が3番目のようだった。2時から移植スタート。ナースセンターのところで,小柄な女性の姿見えた。藤田先生だった。採卵もこの先生にやって頂いたので,「ラッキー」と思うことにした。私は2時12分頃から。藤田先生は消毒も優しいので,リラックスできる。上方にあるモニターを見るように言われ,私の卵が映し出される。先生がエコーをあて,「6○,Good]と聞こえた。看護師さんが,「あれが卵ですよ。見えますか?」と言ってくれた。まもなくスポイトのようなもので卵は吸い取られた。今度は,右横にあるモニターを見るように言われた。エコーの画像が見える。看護師さんが,膣から子宮までの道を指さして教えてくれる。「ここにカテーテルが入り,卵が移植されるのが見えますからね」間もなく,カテーテルを通して,白い物が出てくるのが見える。KLCでの移植はこれで3回目だけれど,今回ははっきりと白く光るものが見えた。その瞬間,先生が「お願いします」と言い,看護師さんがモニター側のボタンを押して,移植の瞬間の写真を撮ってくれた。移植が終わって,両足を降ろされた時,先生が側に来て,「このように移植しましたからね。写真です。どうぞ」と直に言ってくれた。初めてのことだった。女性の先生は優しいと思った。
ベットに戻ると,看護師さんがやってきて,「先生から,ホルモン注射が出ていますので,うちますね」と言われた左肩に打ってくれる。もらった紙には,「子宮内膜の厚さ 薄め」となっている。ホルモン値も若干少ないと言われたし,移植したことが不安になってきた。
20分の安静の後,着替えた。更衣室で一緒になった方が,「今日胚盤胞を移植なさったのですか」と声をかけてきた。私よりもひとつ前の方だった。私が「移植は1年2ヶ月ぶりなんですよ。全然卵が採れなくて」と言ったら,「私もそうですよ。私なんてずっと採卵してきましたけれど,採れなくて,仕方ないので,2003年に出来た胚盤胞を今日戻したんですよ」とおっしゃった。「では,また」と言うことで別れたけれど,言うまでもなく,また受付前で一緒になった。どうも2003年に胚盤胞が3個出来たらしく,そのうち2個を別々に戻し,2回とも妊娠。でも,繋留流産でソウハ手術をKLCで受けたらしい。でも,その後もずっと通院していたけれど,卵がとれず,ちょっとしたトラブルもあって,副院長指名で診てもらってきたとのこと。でも,このたび,副院長が新橋のクリニックの院長になるため異動なさると聞いて,最後の1個を戻してもらうことにしたとのこと。「中途半端にくっつくのなら,最初から付かない方がいい」と彼女がおっしゃったことが印象深かった。
会計を済ませて,KLCを出たのが,3時20分くらいだった。
夕方頃から,お腹が生理前のように痛み出した。なんだか,お腹の中がどんよりしている感じだ。