肺ガンで

早朝4時50分にお義兄さんから電話があった。お義父さんが危ないので、病院に来て欲しいと。でも、多分来てもらっても、死に目には会えないだろうと。夫は、私の実家に泊まってくれている。即、夫の携帯に電話をして、がんセンターに行くことになる。夫は5時10分頃戻ってきた。あわてて出かけても仕方がないので、落ち着いて行こうと話していたところ、お義兄さんから電話。「今亡くなったから」と。
 家からがんセンターまでは、どんなに急いでも1時間30分はかかる。おまけにお義姉さんがそこまで車を運転して行くことができないので、乗せて行ってあげることにした。もっと、遠回りになる。5時40分頃家を出て、6時10分頃お義姉さんとそお息子を乗せて、カンセンターに向かう。到着は7時15分だった。久々に館山道、京葉道路を通って、どきどきした。
 もうすでに、夫の従姉夫婦や叔父が来ていた。処置をしているとかで、すぐには病室に入れてもらえなかった。亡くなったお義父さんに初めてあった時、気の毒で見られなかった。ここの病院では、亡骸は「物」扱いになっちゃうのかなと思った。病室は4人部屋にベッドを2台入れて、お義父さん一人で使っていた。お義兄さんが昨晩寝たと思われる、台車のようなエキストラベッドもあった。壁に備わった器具類も、なんとも露骨で、「病気と闘うための部屋」といった感じがした。
 丁度朝食の時間帯のため、「朝食の時間が過ぎたら、霊安室に移動させましょう」との話だった。何時頃だったのだろう。地下の霊安室に移動し、みなで焼香した。そのうち、看護師さん2名と若い医師がひとりお見えになって、焼香してくださった。8時50分頃病院を出て、10時10分頃、お義父さん宅に着く。
 亀田病院での手厚いお見送りを経験したばかりなので、なんとも、「お手当なし」の退院だったように思った。亀田では、最後の最後まで「患者様」だったから。